2月 212014
 

朝鮮日報日本語版 によると。

 60メートル×30メートルの銀盤にキム・ヨナ(23)が立った。フリーの滑走順は最後の24番目だった。衣装は先月の韓国選手権で着ていたものとは少し違っていた。左デコルテのシースルーになった部分は肌色から黒に変え、黒の右袖にも波をイメージさせる紫色の細い布を付けた。

■釈然としない技術点判定に涙
 先に演技を終えた選手の中で首位はロシアのアデリナ・ソトニコワ(17)だった。ソトニコワは前日のショートプログラム(SP)で74.64点を出し2位に付けていたが、フリーでは何と149.95点を出し、合計は224.59点に達した。

 キム・ヨナはSPで74.92点を出し1位になった。個人通算5回目の高得点であり、自身が2010年のバンクーバー冬季五輪で歴代最高点(78.50点)をマークして以来、最も高い点数だった。しかし、「キス・アンド・クライ」で待機していたキム・ヨナは点数を見て「ああ!(点数が)からい」と独り言を言った。点数が思ったより出なかったという意味だ。

 国際スケート連盟(ISU)の審判たちがソチ五輪開催国の選手ソトニコワに多くの点を与えている状況。その中でキム・ヨナが金メダルを取るには、フリーで150点前後が必要だった。しばらくすると、沈黙を破る静かなピアノの音がアイスバーグ・スケート・パレスを包んだ。

 スピード感あふれるスケーティングで氷上を滑るキム・ヨナは最初の技術課題のトリプルルッツ+トリプルトウループ(3回転連続ジャンプ)に挑んだ。「脚に力が入らず、最悪の状態で演技した」といったSPよりもはるかに楽に跳んでいるように見えた。2番目の技のトリプルフリップにも成功すると、バンドネオンの切ないメロディー旋律がタンゴのムードを盛り上げた。キム・ヨナの流れるような演技。そして12の課題の最後となる足換えコンビネーションスピンが終わり、4分10秒があっという間に過ぎた。4年前のバンクーバー冬季五輪で見せたのと同じ、完璧な演技だった。試合を中継していた英BBC放送は「キム・ヨナが金メダルを取るでしょう。非の打ち所がありません」と言った。

 150点を上回ると思われたキム・ヨナのフリーの点数は144.19点だった。プログラム構成点数(74.50点)はソトニコワ(74.41点)より高かった。しかし、キム・ヨナの技術点(66.69点)はソトニコワ(75.54点)より9点近く低かった。

 ソトニコワの技術点のうち基礎点(61.43点)はキム・ヨナ(57.49点)よりも高かった。比較的難度の高いジャンプを多く試みて成功したからだ。しかし、できばえ点(GOE)には問題があるように思われる。キム・ヨナは9.20点を加点されたが、ソトニコワは加点だけで14.11点をさらった。

 結局キム・ヨナは合計219.11点で2位だった。3位は216.73点のカロリーナ・コストナー(27)=イタリア=。浅田真央(23)はSPの不調で6位(198.22点)に終わった。
■韓国フィギュア界の将来まで考えていたのに
 キム・ヨナはバンクーバー五輪で金メダルを取った後、しばらくの間、進路について悩んだ。韓国人選手には不可能だと思われていた金メダルを取り「これ以上、何をすべきなのだろうか?」という空虚感に襲われた。心が乱れたまま臨んだ10年の世界選手権では浅田真央に1位を奪われ、2位に甘んじた。同年夏には4年以上、指導を受けてきたブライアン・オーサー・コーチ=カナダ=と決別した。翌11年の世界選手権では安藤美姫に負けて2位に。11-12年シーズンは試合に出ず、引退しようと考えていた。

 しかし、キム・ヨナは12年7月「子どものころは選手生活の終着駅をバンクーバー五輪と決めていたが、今は終着駅をソチ五輪にまで延ばし、『有終の美』を飾るため新たな気持ちで出発しようと思う」と現役続行を宣言した。

 現役を続ける決心をした最大の理由は「韓国フィギュアスケート界のためにしなければならないことがまだある」という責任感だった。キム・ヨナは13年の世界選手権に一人で出場、「必ず五輪出場権を3枠取りたい」と語った。18年の平昌冬季五輪で韓国フィギュア界を担う後輩たちに、五輪という大舞台を経験させたいと思ったのだ。

 そして、その世界選手権で1位になり、五輪出場権3枠を確保した。キム・ヨナのおかげで国内選考会を通過したキム・ヘジン(16)=果川高校=とパク・ソヨン(16)=新木高校=が五輪初出場を果たし、初めて韓国人選手3人が五輪の女子フィギュアでフリーに進めた。だが、キム・ヘジンは合計149.48点で16位、パク・ソヨンは142.97点で21位と、五輪の重圧で本来の実力を出せなかった。

 キム・ヨナが現役最後の舞台となる今回の五輪まで歩んできた道は華やかだった。シニア・デビューした06年から国際スケート連盟(ISU)主催大会に21回出場、全てでメダルを取るという大記録を作った。優勝歴も素晴らしい。五輪(1回)、世界選手権(2回)、ISUグランプリファイナル(3回)、4大陸選手権(1回)とどの大会でも1回以上、優勝している。

 しばらく国際試合から姿を消した後、再び出場した12年以降も、確実に世界トップの実力を保っていた。昨年秋には右足甲のけがが悪化、しばらく治療とリハビリに専念しながらも、体調を再び4年前にバンクーバー五輪時同様に引き上げてきた。ソチ五輪を最後に引退するキム・ヨナは世界フィギュア史の伝説であると同時に、韓国フィギュア界の未来を照らす灯台でもある。それだけに「ラストプレゼント」が金メダルではなく銀メダルだったのは心残りだ。

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